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ラジオ体操の歌


郵便屋さんで事務とか雑用とかやってると、色んな発見があるものです。


ガキの頃から慣れ親しんでいたラジオ体操って、今の「かんぽ生命」さんが仕切ってるんだなぁとか。
さかのぼって公社化・民営化される前は郵便局つまり郵政省が仕切ってたんだなあと思ったり。

まーそんなわけで、夏ですよ。ここ旭川も日中は暑いです。夜になるといまのところ「寒い」レベルまで気温下がるけど。


さーてー。

今の職場で「夏」っていうと、某「夏のお便りはがき」の売り込みに躍起になっているわけですが、それよりも浸透してるのって、実はこのラジオ体操ですよね。
小学生の頃の夏休みはアホみたいに早く起きて、近所の公園まで行ったものです。
私が小学生の頃もアホ見たいに早く目が覚めて、カードぶら下げて近所の公園まで行ったものです。「ズームイン!朝」があんな早い時間からやってるなんて、学校行ってる時は知りませんでしたよ。


閑話休題。


今日も今日とて職場にて、参加者に配る景品がウチの支店に到着しました。
今日の仕事はそれを朝から「かんぽ生命」に交付するところから始まりました。まあ景品の中身は言えませんけど(Twitterで大暴露してる気がする)、紙って相変わらず重いよね。

12年くらい前の今とは違う職場でストックフォームことドットプリンタの印刷用紙(あの頃はコピー用紙にも同じ意味で使ってたけど)を配達してたときも思ったけど、まあ、紙って重いです。

それを満載したパレット(カーゴとかそんな感じのモノと思いねえ)を運ぶのに、まあ朝から汗だくでした。

そんなこんなで、この景品のほかにも、例の首からぶら下げるカードも近々到着するでしょう。
あれも紙です。きっと重いですw
いまの事務や総務の仕事に就く前に仕分け(差立)の現場で持ち上げたコメやイモよりも重い紙の束が、近々到着いたします。


小さなお子さんをお持ちの皆様、もしくは親戚縁者に小さなお子様のいる皆様。
夏休みのラジオ体操の準備でこんな感じで頑張ってる大人たちがいるのは伝えなくていいですから、頭の片隅にでも置いて、お子様方を体操に参加させてください。
たぶん、参加の暁には町内会の人がなんかお菓子とか文房具とか… いまは用意してるのかなそういうの。あんま自信ないけど、まあアレだ、ラジオ体操に参加させて、子供たちに健康健全になった気分にさせておけw


…最後の最後に汚い大人の本音が出た気がするけど、その辺はスルーでw
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一時的な葬送(追加補足アリ)

ばーちゃんが亡くなった数日後、伊丹十三監督の「お葬式」のDVDを借りて、初めて見た。
題名こそ知っていたけど、見たのは初めて。そして、伊丹監督の映画を見たのもこれがはじめて。

あの葬儀会場に乱入してきた愛人、古畑任三郎だったらきっと山崎努に殺されてるな。
ていうか喪主役の山崎努がその愛人とあんなこと(自主規制)してるシーンと交互にインサートされる宮本信子の無表情丸太ブランコのシーン超怖いw 古畑のスペシャルだったら宮本信子がさらに山崎努を殺しててもおかしくないレベル。


何の話だっけ。


そうそう、ばーちゃんの死と葬儀一連にまつわるこぼれ話や、「お葬式」のDVD見ながら「あー、27年も前の葬式ってこんなだったんだ」とか、そんなのを書こうと思ってたんだ。

映画の感想と、ばーちゃんの葬儀での実体験と色々ごっちゃになりながら箇条書きするけど、その辺はアレだ、文脈で読み取りやがれでございます(お前酷いヤツだな)


■宗派
ばーちゃんの葬儀終了後の話。

両親が葬儀屋さん(初日にケンカ腰になった人とは別の人)に聞いていたことなんだけど、まず私の生まれるはるか前に亡くなった叔母のお骨が、叔母の時もじーちゃんの時もお世話になったお寺さんの納骨堂にあります。で、この納骨堂が今年秋に改修するってことで、いったん叔母のお骨を引き取ることになるんです。
それを機に、両親(主に姉である母親)が、夫である父方の墓地に納めたいと。まあ、父方の墓の隣にちょこんと墓碑を設けてって感じですね。

ただ、宗派が違うんですよね。仏さんの教えでも色々あるじゃないですか。
で、「それってアリですか?」という話を葬儀屋さんに相談していました。

まあ、生きてるこっちの身からすりゃあ、縁があった人らを合祀するのは都合がいいんですが、そこはデリケートな問題が絡むところです。葬儀屋さんの結論は「アリです」だったんで、傍から聞いていた私は「へー」ってちょっと驚いたものですが、根本に立ち返ってみたら死者の供養って結局は「生者のエゴ」だしねえ。まあ、「アリ」だろうなと。
それで揉める揉めないの問題も、結局「生きてる人」の問題だし。

ちなみに、「お葬式」のDVDでもそんなシーンがありました。あっちの問題はもっとストレートというか「え? それいいの?」って話で、「○○宗のお坊さんが近くにいないから、△△宗のお坊さん頼んでもいいでしょうか」→「アリです」って話でした。
2011年の今、そして北海道じゃなくて本州で、冠婚葬祭でもナーバスになるであろう「葬」の舞台でそれがOKなら、「ああ、『宗派が違う』くらいの問題で合祀OKかNGかなんて瑣末なことなのかな」って思うようになりました。

でもアレ、キリスト教だったらどうなんでしょう。
「牧師さん(プロテスタント)がいないんで、神父さん(カソリック)に頼みました」って。
平野耕太のマンガだったらアンデルセン神父が銃剣持って暴れるレベルなのかな、とか。まあ、アレは極端な(フィクションだし)例なんだけど。


■親指隠せ
「お葬式」のDVDでも出てきた霊柩車。最近めっきり見かけなくなりましたけど、そういやいまどき霊柩車で遺体運ぶなんて、有名人著名人名士レベルですよね。
ウチのばーちゃんレベルの一般市民ではまず乗ることもないんだろうなあ。きっと私も。
ヘタすりゃどっかのアパートで孤独死して、特殊清掃の人が来て処理されるかも。葬儀代と送ってくれる人くらいは確保しておこう。


■釘打ち
これまで3度、葬儀に参加したことがあるのですが、そこで割愛された「釘打ち」の儀式。
映画「お葬式」のDVDでその概要を知ることができました。

アレ、てっきり遺族が金槌でガチで釘を打ち込むと思ってたんですけど、(映画の中では)ちょっと大きめの石で釘を打つというか「叩く」儀式だったんですね。私が参加した葬儀では全部割愛されていましたが、まだどこかでこの儀式をやっているところはあるんだろうなあ。


あとはまあ、後日見た「お葬式」の感想というか雑談。ネタ1つしかないけどな。

いやー、大滝秀治って、27年も前から「おじいちゃん役」だったんだなあw
「DVD見て一番びっくりしたポイントそこかよ!」って言われたら、素直にそう言うしかないです。
いや、ホントにびっくりした。アレ。


●追記ー
「宗派が違うお坊さん」の件で、「アレ、キリスト教でもアリなのかな」といったことを書いたら、後日“自称・敬虔なクリスチャン”のマイミクさまから補足いただきました。

「まず、クリスチャンの基本は「求めよ、ならば受け入れん」なので、カトリックにプロテスタントがお願いするのはアリ」

なんだそうです。事情を話せば配慮してくれるとか。

そんなわけで、アンデルセン神父や由美江やハインケルが銃剣や日本刀や二丁拳銃でバキューンバキューンなことは無いわけで、ましてやマクスウェル大司教(アルキエピスコプス)様が武装ヘリで宗派の違う皆さんをボッコボコにすることもないわけです。ああよかった。


つか、世紀末を乗り越えた今、東京都立川市でブッダとともにバカンス中の教祖様ならなんていうんだろうね。

「タレントが事務所を移籍する感じ?」 とか。

ダメだ、中村光級のキレたネタが思い浮かばない。

癒しと光

「ばーちゃんの死とその後」関連の日記タイトルは、なんか流れで「I.Q」とか「I.Q FINAL」の曲名からつけています。
私にしかわからない、ヘタすると私にもわからない「セオリー」です。「セオリー」って曲もあるんだよなそういえば。学生時代はサルのようにハマッてやっていました。いまはクリアできる自信がほとんどないや。特にテクトニクスモードは。


【初七日】

じーちゃんの時はどうしてたんだっけ。
意図的にバックレたのか、それともタイミング悪く風邪引いて、たぶん来るであろうじーちゃんの親類(高齢のお歴々)にうつしたらエライことになると思って行かなかったのか。

ばーちゃんの時は行ってきました。デブ全開の変わらぬ姿で。喪服のスーツ脱いだら外見はどう見ても「芋洗坂係長」です。本当に(ry 状態でな。

で、確か午前中に始まった初七日法要。

私のほかに来ていたのは、実の娘こと母、娘婿こと父、。ばーちゃんの姉とその息子の嫁(母とは従妹)、それから父の姉夫婦こと伯父さん伯母さんとその息子こと運転手兼従兄弟のにーさん。そんなメンバー。

で、祖父母も生前懇意にしていたお寺さんを迎えて初七日開始。
私が生まれるはるか昔に17歳の若さで亡くなった、母の妹こと叔母の法事絡みで祖父母や両親、そして私をはじめとする孫3人も知っているお寺さんが読経を始める。

でも、そのお寺さんの背後にいつも陣取っていた叔母の母ことばーちゃんはもういない。背後にいたばーちゃんは、いまは写真と骨になって、お寺さんの真正面にいる。その光景が実に奇妙であり印象深かった。


読経も終わり、昼ごはんタイム。
両親が何を血迷ったか「ちゃんと食べてるの? 実家に戻っておいで」とか言い出さない予防線のため、その日の朝にあらかじめ作っておいた一品おかずを詰めたタッパーを取り出してみた。
両親には「味が濃い」「これはご飯が進んでこうなる(芋洗坂係長状態)のもわかるわ」と言われたけど、親戚筋には高評価だったのでまあいいや。
つか、この腹見たら、少なくとも「食えてない」とは思わないだろうな常識的に考えて。


その後はテキトーに甥っ子姪っ子「で」遊んでちゃっちゃと帰宅。
次に会うのはたぶん四十九日法要の7月上旬だろう。
あんまし両親らに会うのは気が進まないんだけど、生まれた頃からアホみたいに可愛がってもらった祖父母への不義理はちょぃと避けたいしな。


あと、このあともうひとつ「こぼれ話」的な日記書いて終わるかな。
日記かいたり読み直しているうちに「あ、アレ書いてなかった」っていう話をちょこちょこ書くです。

未来と羅針(加筆修正しました 6.19)

いま「I.Q」と「I.Q FINAL」やったら、ソッコーでキューブに潰されるだろうなあ。

週末を迎えたので、ここから72時間くらいフリータイムだぜキャッホーということで日記更新しますが何か。

そんなこんなで、ばーちゃんの葬儀【3日目】レポです。
正直「何にも知らない(Ah)こども」時代の象徴だった祖父母が亡くなった、何かの揺るぎないひと区切りがついた衝撃は否めないんだけど、そのとき感じたことや、いま感じていることを留めておこうと思っての日記でおじゃりまする。
読みたいお方はお付き合いの程を。



【2日目 夜】

「ばーちゃん本人が生まれたときから結婚するまでの20年強の付き合いがある親戚」と、「同じく本人の娘が結婚してから死ぬまでの付き合いがある娘婿の親戚」のパワーバランスってヤツは複雑だなあと思ったそんな一夜。

まあ、生きてる人にはいろんな事情があるんだなあきっと。そう思うと、そんなことも「ささいなこと」に見えてきます。

それにしても、「寝ずの番」の席に残った「ばーちゃんが生まれたときから20年強の付き合いの親戚」が寝た途端に、ウチ(娘婿)の親戚の伯父ちゃんが「やっと俺たちの時間だ」と酔いどれながら言ったのはちょっと引いたというか「ああ、そういうモンなの? オトナの世界って俺も35になったけどよくわかんねーや」と思った次第。

あと、夜通し見ていたニュースで1つ追加(児玉清死去と、オーストラリアの「プランキング」のニュース)と同時に入ってきたのは、私と妹1号が中学生時代を送っていた市での中学生による暴行殺人事件。


【3日目・葬儀前】

朝10時から葬儀。
葬儀会社から用意されたお弁当を食べつつ、夜通し残った親戚縁者と色々お話。

そんな中、件の中学生暴行殺人事件に関して、「2日目」の夜に妹1号と「隣の中学校じゃね?」と言っていたプチ希望的観測が根っこからひっくり返されるケータイメールが、高校時代の友人から届く。
あっはっは、まさか俺と妹1号の通ってた中学だったとは。
妹1号にその話を告げると、既に朝刊で知ってたけどなあ。新聞見せられて「あー」って思った次第。また荒れたんだ、あの学校。


【3日目・葬儀】

えまあ、通夜と同じくデブ汗と花粉症全開の初孫が最前列で醜態を晒しました。
まったくもう面目ない。

あと、甥っ子2号(5歳)が途中退場途中退場してもいいように、妹1号の義母がスタンバっていました。で、甥っ子5歳はギブ。お目付け役なのか便乗なのかはわからないけど、甥っ子1号(10歳)も離脱。最後まで残ったのは姪ズ(確か当時8歳と5歳)でした。
なんだろう、女の子ってやっぱ精神的にも成長早いのかなあ。あれでも(斜に構えすぎか)


【3日目・告別式・火葬】
「釘打ちの儀式」って、あんな風にするんだ(後日見た伊丹十三の「お葬式」より)

姪っ子2号、5歳にして火葬デビュー。姪っ子1号も10歳でデビュー。
まあ、骨こそは拾いませんでしたけど。いくらなんでもショックが大きいだろうし。

甥っ子10歳(1号)と5歳(2号)は葬儀会場でスタンバイ。10歳は5歳のお相手だろうか。
で、姪ズ8歳(1号)と5歳(2号)が火葬場デビュー。すっかり骨になって、文字通り「変わり果てた姿」になったひいばぁちゃんの姿を見て、彼女らは何を思っただろうか。も2人とも「ガン泣き」ではないけど、涙を浮かべてたようだ。

火葬後に印象的だったのは、火葬に参加された「ばーちゃんの親戚」の驚きの参加率の低さ。
縁起でもないことを書くのははばかられるけど「明日はわが身」の印象やら、「生前懇意にしていた人」の死を受け入れられない現われだったのかも、アレ。

じーちゃんの火葬のとき、「遠方の親類無双」をカマした娘婿の親戚(父の姉すなわち伯母ちゃん)って、そう考えるとある意味「促進剤」だったのかなと思う始末。
今回はその役割を「娘婿」である私の父や、私をはじめとする孫がやりました。
祖母こと「ばーちゃん」の骨、まあ冷静に考えたら、自分より若い兄弟・姉妹にあたる人の骨は拾いたくはないのかもなあ。
「自分より若い人が」っていう思いと、さっきも書いた「明日はわが身」って思いが混在しているだろうし。
まあ、その気持ちがわかるのは、自分があれくらいの年齢まで生き延びて、2人いる妹が先に死んだときなんだろうけど。


で、すっかり骨になったばーちゃんは、妹1号の旦那こと義弟に抱かれ、私は遺影を抱いてまた葬儀会場へ。
位牌は実の娘である母が抱いていていました。
義弟は「後学のために」と今回の葬儀にほぼ全面参加。そういう社会科見学もあるよねぇ。



【3日目・四十九日法要(前倒し)】

ごめんあまりよく覚えていない。



そしてそれらが終わって、ようやっと祖父母の家に、お骨とともに帰って参りました。

第2の潮流

【2日目】

「7時には行くから」と言って、ばーちゃん家を後にしてアパートへ帰ってはきたものの、ベッドで寝たら寝過ごす恐れがあると思って、床に直で寝て起きた2日目の朝。

タクシーでばーちゃんの家に向かい、この日はお通夜の準備。

ここまで書いてて【1日目】で書き忘れてたことを色々思い出した。

あれどのタイミングだったかなあ、マイミクも切ってアク禁にしてた元知人から空気読まない電話きて即切り即着拒したのw まだばーちゃんが生きてた時かなあ。死んだあとだったっけか。なんか病院で受けて切った覚えがあるから生きてた頃かな。そんでその後怒りに任せてTwitterに投稿したっけか。

まあその後ばーちゃんは亡くなるんですが、それから元妻さんに連絡して寝ぼけ眼ボイスで受け答えのあとに「あの空気読まない人って誰?」って聞かれて答えて、ばーちゃん死んだ後なのに電話通じて「うはははは」って笑ったりして。うん、あれでちょっと気を取り直した。


さて。


■家から斎場へ

2日目お通夜ってコトで、昼過ぎからまず納棺。
集まった親戚の男衆と、葬儀屋スタッフとでばーちゃんの遺体を納めたんですが、なんか不謹慎にも昔の仕事思い出しましたね。

5年くらい前まで、家電量販店のPCサポートの仕事してたんですけど、お客様が買われたPCの初期設定を店内でやる仕事があったんですよ。で、その初期設定が終わったPCをもういっかいPCの箱に納めるってー作業があったんですけど、感覚あんな感じだなと不覚にも思いました(お前酷い孫だな)。
や、でもホントそれくらいきれいにフィットしたんです(まだ言うか)


そして棺に入れられたばーちゃんを、これまた男衆と葬儀屋スタッフで家の外に運んで、葬儀屋の車に載せていざ会場へ。


じーちゃんの時と同じ葬儀会社だったんですが、今回は会場を変更しました。
前回は祖父母の家から近い会場だったんですが、今回は市街地の会場へ。会場を決めた父曰く「美瑛(ばーちゃんの親戚筋のいる隣町)からきたときにわかりやすい」のと「エレベーターがあるから」

前回の会場はエレベーターがなかったので、じーちゃんの親類(だいたいお年を召した方々)にしてみたら、葬儀会場のある2階への移動はまぁキッツイのと、実は両親も脚に障害を持っていてこれまた階段での移動がキッツイので、今回はエレベーターのある会場を選んだとのことでした。
実はこれ、翌日3日目の「棺を会場から外へ運ぶ」段になったときに、私やその他の親戚男衆にも助けになりました。
エレベーターのない会場だったじーちゃんの時は、棺を運び出す際も階段を使っていたので、そりゃもう足元に気を使いましたので。まんま伊丹十三の「お葬式」のワンシーンでした。アレ。


■斎場

告別式は午後6時から。
午後3時入りした私は、弔問客の話し相手と斎場から控え室についての説明を受ける以外は特にやることがない。それよりも、アパートから持ってきた喪服に着替えて鏡を見たら、どう見ても芋洗坂係長にしか見えない自分に戦慄した始末。

午後5時半くらいに、保育園やら小学校が終わった妹1号と義弟、甥っ子10歳・5歳、姪っ子8歳やら妹2号と姪っ子5歳が続々と到着して一気に騒がしくなる。
告別式開始ギリギリだというのに、用意されてた弁当を開け始めるのはまあ子供だから勝手がわからないのは多めに見ても、俺も含めた周りの大人が何とかしたほうがよかったとは思う。

そして、元妻さんと息子5歳、元息子16歳もきてくれて、彼らは一般席に座って告別式開始。


■告別式

締め切った会場で献花あふれる祭壇を目の前に、不覚にも最前列で鼻炎暴発の私。そしてデブ汗全開のコンボ。見苦しいことこの上ない醜態を晒しながらも式は粛々と進む。

そして程なくギブアップする甥っ子5歳と、そのお目付け役らしく同時に退場する甥っ子10歳。
2年前のじーちゃんの葬儀のときは全滅だった甥姪たちだったけど、姪っ子8歳と5歳(以下「姪ズ」)は最後まで居たなあ。女の子ってやっぱ精神的に成長するの早いんだろうか。

で、告別式終わって弔問客を見送る中、元家族にもお礼言って5歳息子とハイタッチで別れてまた控え室へ。
あと、息子5歳を見た妹2人は、声をそろえて「大っきいねえ」って言ってました。


■控え室 ~寝ずの番~

まあ定例の飲んだり食ったりお酌したり、明日の弔電披露の打ち合わせを、喪主である父とやったり。あ、そうそう、喪主が父だったんですよね。娘である母じゃなくて。一瞬「そういうもん?」と思ったけど、やっぱちょっと違うよなたぶん。

で、私もちょっと疲れて開放されたかったので少し飲んで、父方の親戚の伯母ちゃんやら祖母の親戚筋から「寝てなー」と言われてお言葉に甘えてちょっと寝たんだけど、微妙に暑い時期だった割に、斎場的には「まだ冷房入れる時期じゃねえ」状態だったらしく、2時間寝たか寝ないかの状態でそのまま寝ずの番。

起きたのが夜中の2時だったんだけど、なんでその時間になっても甥っ子と姪っ子5歳は寝ないでいたんでしょうか。あと、ばーちゃんの祭壇に近い場所をウチの父方の親戚縁者が陣取ってたんでしょうか。つか、ばーちゃんの親戚筋、3人しか泊まってなかったなあ。「圧倒的じゃないか、我が軍は!」ってヤツですよ。俺が小学生時代にさっぱり見たことのなかった某モビルスーツアニメ風に言ったら。


夜通しつけてたTVで見たものは、児玉清逝去のニュースとオーストラリアで流行っていた「プランキング」と呼ばれるうつぶせ写真投稿での死亡事故のニュース。


そして深夜から朝方にかけて、他の親戚が起きてきたところで風呂に入ったりしながら朝を迎えて、さて3日目でございます。

第1の潮流

また、ばーちゃんの話。
今度は思い出じゃなくって、葬儀あれこれにまつわる3日間の話。

まあそんなわけで、私事ではありますが、それこそ赤子だった頃からアホみたいにかわいがってもらったばーちゃんが死んでもうすぐ1ヶ月です。

先月、5月16日、昇った朝日がばーちゃんの魂も「ついでに」くらいのノリで天に連れて行きました。
2年前の秋に死んだじーちゃんがタクシーの運転手だったので、それで迎えに来たのかもしれませんが、よりによってまだ「割増料金」の時間帯に迎えに来たのかよと思うと、うっかり笑いが漏れそうになったりならなかったり。じーちゃん、割増分のサービスしてやれよホントにもうw

そして、じーちゃんが死んだときの経験をもとに、実の娘である母と、その娘婿である父は、テレビでよく見るような心拍数とかをカウントする機械やお医者さんが必死こいて心臓マッサージするオプションは敢えてつけず、自然に任せて逝かせるようにしていたらしく、おかげで臨終は実にあっさりしたものでした。


そんな早朝。そして

【1日目】


■病院からお家まで

ばーちゃんが亡くなって、まず父は、ロビーにてばーちゃんが生前「このとき」のために頼んでおいた葬儀会社へ連絡。時を同じくして病室では看護婦あらため看護士さんが、ばーちゃんの体についていた色んなものを取り外し、体ひとつの状態に。
看護士さんに呼ばれた後、病室に入りばーちゃんに手を合わせて、残った遺族である両親と私は、病室にあった私物や見舞い品の片付け。

早朝5時20分、黒服に黒ネクタイの人が来て、看護士さんたちといっしょに亡骸をストレッチャーに載せ、葬儀屋の車には娘である母が乗り、私は父の運転する車でばーちゃんの家へそれぞれ向かう。

死ぬ前日に近くの老人介護施設から担ぎ込まれて担当医も定かでないまま死んだじーちゃんの時とは違い、長いことその病院にいたお陰か、今回は最期を看取った若い先生と到着看護士の見送りもあったのがなんか印象的。

そして、患者の起床時間である午前6時前に、実にテキパキと遺体が病院外に運び出されたことで、自分自身の入院体験を思い出しながら「あの頃の俺の知らない間に、こうやって淡々と粛々とコトは運んでいってたんだなあ」なんて思い立ったりもしました。


■お家 ~安置~

ばーちゃんが死んだ時点で、主の居なくなった祖父母の家。
ばーちゃんが病院に担ぎ込まれた2年前の冬以来、いちども足を踏み入れたことがなかったその家は、2人居る妹のうちの、下の妹(以下、妹2号)とその娘5歳(以下、姪っ子5歳)の家になっていました。
知らなかったとはいえびっくりしたなぁ。

そして、2年前の秋に、じーちゃんが安置されていたその位置でもある仏間に、ばーちゃんの遺体を安置。
ちなみに今の住人である妹2号は、その家から歩いて10分ほどの実家で姪っ子5歳と待機していました。近いうちに容赦なくバタバタするであろう現場に5歳児寝かせておけるわけもないだろうしなあ。


■お家 ~弔問・枕経~

色々あって(あまり思い出せない)7時頃。祖父母が生前お世話になっていたお寺へ、父が連絡。
母は親戚縁者へ片っ端から連絡。私は妹2号と姪っ子5歳の居住空間である1階にあるアレやコレを片っ端から片付けたり2階に上げたり。

8時頃を皮切りに親戚縁者の訪問が始まり、10時頃、お寺から坊さんが来てお経を上げる。太りすぎたわが身には正座がつらい。


■お家 ~遺品整理・湯灌~

遺品整理と言っても2年弱にわたるばーちゃんの入院生活の間、母があらかたのことは済ませていたみたいなのでその辺は特になく、弔問に来てくださった親戚の方に、ばーちゃんの着ていた浴衣や着物の生地を分ける程度で終了。殆どが、お棺に何を入れるかの話だった。

生前好きで着ていた洋服や、私ら孫3人そして先に逝ったじーちゃんと撮った写真、ひ孫である姪っ子が見舞いの際に描いて持ってきた絵やらを入れることでなんとなく話はついた感じ。

湯灌はじーちゃんの時にも経験済みなので、そつなく終わる。
じーちゃんの湯灌の前は、父が何をトチ狂ったか、縁のあると思ったらしい実家の犬を連れてきてしまっていたため、湯灌に来た葬儀会社のお兄さんが終始涙目でいたことを受けてか、今回は父は犬を連れてこなかった。お陰で私も助かったのは秘密。

あと、うっかり「湯灌」と「湯煎」がごっちゃになるのも秘密。「バレンタインで手作りチョコでも作るのかよオメー」と、いらぬ事を脳内で考えていたことはここだけの話だ。


■お家 ~VS 葬儀屋~

湯灌の前か後だったかはよく覚えていないんだけど、両親が初老の葬儀屋と打ち合わせする場面に居合わせていた。
このときには姪っ子5歳を保育園に送り出した妹2号も居たりして、外野で一緒に聞いていたんだけど、どう聞いても親父がけんか腰。要約すると「2年前の祖父のときはここまでやってくれた」というもの。

私も一時期接客業をしていたので、「前はやってくれたのに」というお客さんのクレームを聞くことはよくあった。でも接客する場からすると、1年前、ヘタすると昨日までは対応できてたことが今日は社の方針が変わったのでお断りさせていただく事例も少なからずあったので、父の言う「2年前には融通の利いたこと」は、正直無茶ブリに等しいと思って、多少、父にはイラつきながら聞いていて、相変わらずの父の居丈高っぷりに辟易した心情も妹2号に吐露した。

でも、改めて葬儀屋と両親の話し合いを聞いてみると、わが身に覚えがあるとはいえ、葬儀屋の説明の仕方が良くねーなーとも思った。
2年前は死亡診断書の手配もしてくれたのに、なんで今はしてくれないんだという父の詰問にも、後手後手に回ってやっと出た言葉が「個人情報の絡みで云々」という回答。それ先に言ってくれてれば少しは話がスムーズになったかもしれないのに。

あと、その担当に「このお客さん、2年前にもお世話になった人だから」っていう情報を葬儀会社が言っていれば、2年前との相違点も少しは仕込んでこれたんじゃないだろうか。でもまー、ああいう会社って「突発」が常なところだろうから、そういう仕込みも難しいのかな。

とりあえず、それで紆余曲折あったようだけど、葬儀の段取りや予算の話は終わって、また夜にかけて弔問客のお相手があって、その日は終わる。


そして私は「喪服を取りに帰る」って名目で、ばーちゃんの家を離れてこのアパートに帰ってきて寝た。



そんな1日目。

かごの中の小鳥/THANKS SONG


Twitter経由で、今日6月13日が「はやぶさ」帰還から1年経った日だということを知る。

去年の今頃、ニコ動の関連動画であんだけ感動しながらも「今日の今日まで存在すら知らなかった俺ってニワカだなー」とあの時点で思ってたんだけど、まあ、まさにって感じだなって思わされたついさっき。

惑星イトカワから持ち帰った粒子が全国8箇所か9箇所の研究機関で分析されて、結果「やっぱしイトカワから持って帰った未知なるブツだ!」っていうニュースまでは見たんですが、まーそれ以降は日ごろの生活に押し流されて、今日の今日まで「アレから1年経った」ことすら忘れていました。ひっでぇなあ。同じ国内には今だって、事業仕分けの逆風にも抗いながらワクテカ全裸待機で新たな分析結果を待っている人だっているだろうに。


でもって。


さらに「ついで」と言ってしまうと13年位前の私にボッコボコにされることをまた今年も思い出しました。


「そういえば、今日は古式さんの誕生日じゃないか。プレゼント、何にしようかな」


ってーわけで、初代二次元嫁の古式ゆかりさんの誕生日ですよ。
つか、2代目3代目が居るのかって話なんだけどな。そもそも初代は古式さんだったのかとか。海腹川背さんかマリン@どきどきポヤッチオじゃねーの? とか、もっと遡って芹沢香澄@スーパーリアル麻雀P3だったんじゃねーのとか、我ながら色々突っ込みどころがあるんですが、そこはアレだよ。

「ああ、男の人って、いくつも愛を持っているのね」

っていう格言とともにその辺は流せ。
流せなかったらまあアレですよ、電流でも世界制服ハイメガビームでも食らいますよ。
しかもトップの写真、初代二次元嫁のCDジャケットの奥に、去年の一瞬だけ二次元嫁だった小早川凛子さんがいますけど。どんだけ脈絡ないんだよ俺。


ともあれ、なんだかんだで古式さんの誕生日って覚えてるもんだなあ。
あと「せっかくだから」と写真撮影のために引っ張り出したCDを、さらに「せっかくだから」と中のライナー見たら作詞の殆どが、くまのきよみさんでびっくりした。一瞬コナミの社員だったんだっけと思うくらいの貢献度ですな。

まあ、色々話がとっ散らかってしまったけど、それはいつものことという事で見逃してくれよー(最後にキョンキョンかい) どんだけまとまりがないんだよもう。


抱きしめてTONIGHT


J-POPのCD売り上げもまだまだ元気でアーティストのラインナップもバラエティに富んでいて、今ほど歌番組が衰退していなかったちょっと昔より更にもうちょっと昔、何気なく歌番組を見ていたら「ばーちゃん、トシちゃんカッコ良くて好きなんだー」と、孫の私にとっては爆弾発言級の告白をしたことがありました。

俺が生まれたときから、というか生まれた時点で「ばーちゃん」になった人からそんな発言が飛び出したのがやたらと印象的だったので、YouTubeを知ってからたまに思い出したときに、田原俊彦の動画を見てるんだけど、確かにこの人すごい。アホみたいにダンスのキレがいい。
ばーちゃんが既に「ばーちゃん」のクセに(あえてそんな書き方)「カッコ良くて好き」と言い放つ理由もわかる。

最近のジャニーズの歌っている姿は、昨今の歌番組不足と、そもそもそんなにテレビを見ない生活のお陰で見ることがないんだけど、何となくなんだけどダンスのキレはSMAPや嵐の人らよりも遥かにあの頃のトシちゃんの方が上のような気がしてしまう。

話変わって、嵐はそこそこ好きなので番組たまに見るけど(「VS嵐」と「嵐にしやがれ」)バラエティ番組ばかりだよなあ。
SMAP×SMAPみたいに歌とダンスのコーナーでもあれば、ゆるーくしか嵐を知らない俺でも「大野くん実はスゲー!」とか思うかもしれないのに。
お陰で大野くん、俺の中じゃいつまでたっても「不遇のリーダーキャラ」ですよ。もしくは藤子A先生の描いた「怪物くん」バージョンの大野くんが激似とか。


何の話だっけ。


ああそうそう、ばーちゃんの爆弾発言の話(田原俊彦の話じゃないのかよ)
なんかね、そんな感じでばーちゃんとの思い出って、子供の頃から小遣いせびりに行ったついでにボケーっとテレビ見てた思い出が多いんだよな。
そういや「100万円クイズハンター」も好きだった。「あんなの貰えるといいねぇ」って、高級旅館の宿泊券とか反物とか、豪華商品に溜息つく庶民そのもののトーンで言ってましたよ。

で、ボケーっとテレビいっしょに見てる度にばーちゃんの爆弾発言にびっくりさせられるとか。

生前で最後にびっくりさせられたのは、数年前にキムタクとフットボールアワーの岩尾がやってた洗顔料のCM。

ちょうど動画が見つかったので貼ってみますか。

コレ見て一言。
「こんなにハンサムになるなんてすごいねえ」

ばーちゃん! 違う!
…って、ツッこむ気にもなれませんでした。いやなんかもう、すごい天然ぶりに戦意喪失の図でした。


とまあ、もうすぐ亡くなって1ヶ月経つばーちゃんの思い出を書き連ねてみました。

あと印象に残ってるばーちゃんの姿って、正月に酔っ払って、俺も父親も手がつけられないくらいテンションあがった「裏ばーちゃん」の様子と、死ぬ前に入院してたじーちゃんを毎日見舞って、身動きもできない口答えする気力もないじーちゃんの前で、笑いながら「積年のあんな話やこんな話」を、これまた小遣いせびりに見舞いに来てた俺の前でしていた「Sモードばーちゃん」の姿しかありません。
いや、今のは言い過ぎましたけどw ちゃんと他にもありますけどw


でもあの時ちょっとだけ「女って怖えぇ」って思ったのは今告白しますぜ、ばーちゃん。

ヘビーローテーション

だんだん聴いた事があるような気がしてきた(そりゃ、昨日からヒマさえあればYouTubeで流してるからな)

昨年に引き続き、「5歳息子が旗頭になるから見においで」と元妻さんから案内があったので行って参りました、第79回北海道音楽大行進。
去年はよく晴れてたんですが、今年はちょいと曇天模様でした。ちょっと降ったり降りかけたりもしましたし。


それにしても、開会式前の会場に出没するアホ親とアホババァ多すぎて笑ったなw
実行委員が何度も「お写真を撮りたいお気持ちはわかりますが、どうぞ園児の“後方”に移動してください」ってアナウンスしてるのに、親と思しき一部のカメラピープルは一向指示に従わないし、しまいにゃカメラ持ったババ… えーと、年かさのご婦人が、きちんと並んで待機してる園児の列の中に入って写真撮ってるんだもの。5歳児以下かババ… ご婦人。ていうかそれはどう見ても悪い見本だろうよ。


まあそれはともかく。
昨年に引き続き、今年もまた元家族と元お義父様とで、元妻・元息子16歳と私はケータイで、元お義父様はなんかちゃんとしたカメラで、5歳息子の行進とともに追っかけて沿道から写真撮ってました。ちょっとした集団パパラッチです。

終始ノリノリかつフリーダムにカメラ抱えて5歳息子撮影してる元お義父様や、口数少ないけど要所要所でしっかりケータイでショットしている元息子16歳をみると、「5歳、愛されてるなー」としみじみ嬉しく思ったりしました。


で、旗頭5歳。
通ってる保育園の先頭で園の旗を持って行進してるんですが、たまにふらついてました。

元気とテンションの高さには定評がある(俺調べ)5歳にしては珍しいなと思いながら見てたんですが、行進終わったあとで園の先生が元妻さんに話してた内容を横で聞くと(私も横にいたけど、事情が事情なので、まさか「父親」も来てるとは先生も思ってなかっただろうからスルー以前に「どこかの知らない一般人」だと思われてたよねきっと)この微妙な悪天候と強風のおかげで旗が風をもろに受けていたことが判明。ていうか俺もそれくらい気付け。

いくら元気な5歳児とはいえ、強風に煽られた旗は確かに重いよなー。
でもまあ、旗を一度も地に着けることなく頑張ってました。

そんで行進が終わったあとはさくっと解散。
雨が降ったり降らなかったりする中、帰宅しました。

そういや、去年はエンカウントしまくってた実家の人たちには今年は会いませんでした。
いや、居たのかもしれないけど全力で気付かなかったや。意識というか警戒というかアンテナは張ってたんだけどなあ。まあ、どうでもいいや。


そんな今年の大行進。
あ、日記タイトルは5歳旗頭の園が演奏した曲です。
本気で誰の曲だか知らなかったのはヒミツ。


▼昨年の日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1506759253&owner_id=6316338
プロフィール

くしぃ

Author:くしぃ
30歳で「アスペルガー症候群」と診断された人の、艱難辛苦を乗り越えられなかったり乗り遅れたり乗車拒否したりしたブログ。



一人称は「いちぎょー」とか「くしぃ」とか。

そのうち統一させます。

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